「もう野球をやめたい」という息子の一言に母が返した言葉は。埼玉西武ライオンズ山川穂高(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #2 (1/2)
スポーツ界の第一線で活躍するアスリートに、幼少期の習い事について訊く新連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのように現在のプレーに活かされているか、今の自分にどう影響しているかを伺います。
《前編はこちら》
・「いやいやながら続けた書道だけど、今思えばとてもよかった」。埼玉西武ライオンズ山川穂高(前編)【子どもの頃こんな習い事してました #2】
小学校のころからアイススケート、水泳、野球とスポーツに親しみ、その一方で書道や独学のピアノも続けてきた埼玉西武ライオンズの山川穂高選手。後編では、野球との向き合い方や、つらい時にお母さんがどのような言葉をかけたのかについて聞きました。
友だちと遊びたくて、中学校ではバレーボール部に入部
――小学校のうちはアイススケート、水泳と習っていた山川選手ですが、中学校からはスポーツは野球だけですか。
いや、バレーボール部に入ってました。中学校に入るときに、野球は硬式をやるか軟式をやるかという選択をしなくてはならなくて。硬式は試合も少ないですし、家から10キロ以上離れた練習場に自転車で通わないとならないけれども、指導者は元プロ野球選手。軟式は家の近所で小学校の友だちと仲良く練習できる。どうしようかなと悩みましたが、硬式を選びました。練習は週に4日。そうすると週に3日は空いてしまうので、バレー部に入ったんです。
バレーは……こういう言い方しちゃ悪いですけど、遊びでした。週7日のうち野球の練習のない3日間、友だちは学校の部活をしているから一緒に遊ぶ人がいない。それが嫌で。バスケやサッカーはずっと走らなきゃいけないけど、バレー部だったらいいかも、と。仲のいい友だちが入っていたのもあって。で、入部して1ヶ月でレギュラーになっちゃって、そこから真剣にやるようになりました。
――遊びで入ったのにすぐにレギュラーとはすごいですね。バレーボールの経験は野球に役に立ちましたか。
それを考えて野球をやったことはないので、どうですかね。今はこういう体型ですけど、高校のときは今より20キロくらい痩せてて足も速かったんです。跳躍力もあったので、そのときは「バレーボールをやっててよかったな」と感じました。でも今はあまり(笑)。そんなに長いことやってなかったですし。中学時代の同級生がこの記事を見たら笑うと思いますよ。
憧れの高校野球部に入ったけれど「自信がなかった」
――当時の将来の夢はプロ野球選手ですか。
小学生のときはプロ野球選手でした。中学、高校はプロ野球選手になれるなんて思ってなかったです。特に高校のときは、まったく自信がなかったですね。目指していた沖縄県立中部商業高校に入学して野球部に入りましたが、まわりもすごい子が入ってきてたし、沖縄だったのでプロのスカウトが見に来ているとかそういう話は身近になかったんです。高校の頃はプロに進むことよりも、甲子園出場をめざしていました。「プロになりたい」という意識が芽生えたのは大学に入ってからです。
――ではそれまでの夢は?
中学校の卒業文集には、夢は「甲子園に行くこと」と「沖縄電力」と書きました。将来は沖縄電力の野球部に入りたいと思ってたんです。野球をずっと続けるつもりではありました。
――8月に大学の1学年先輩でソフトボール部に所属していた女性とご結婚されたばかり。将来、お子さんが生まれたら習わせたいことはありますか。