インタビュー
2017年10月25日

ケガとの戦いの中で見つけた信念の貫き方。水尾嘉孝氏(前編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #4】 (2/2)

 ヒジを手術したので、もともとヒジに対するケアは徹底的にやっていました。でも、オリックスにいた29歳で、腰がひどくなって手術をしたときには、もう今までと同じではダメだ、徹底的にやるしかないと考えを改めました。

 そこで変えたのが食事です。タンパク質やほかの栄養素がどれくらい必要で、どう食べたらいいか、自分で勉強して考えました。高タンパク低カロリーを目指して、揚げ物は一切食べず、赤身肉よりは鶏肉や白身魚、大豆。最初にサラダをしっかり食べて、その後にタンパク質を食べて、足らなければ最後に白いご飯や炭水化物を少しだけ食べる。基本的に朝を重点的に摂り、夜は少なめ。こういう食事を徹底してやっていこうと。

― 自分で料理を作ったのですか?

 いえ、外食ですけど無理を聞いてくれるお店に行ってこうゆうメニューを作ってと、お願いしてました。だから、何が食べたいのではなく、何だったら食べていいかという、メニューの選び方でしたね。

 もちろん最初は満腹感ないし、なんだこれは? と思いましたが、とにかく1年は絶対続けようと。すると3ヶ月もしたら、朝起きたときにダルいと思うことがなくなってきた。ドクターに聞いたら、朝起きたときに疲れているのは、寝ている間に内臓が消化するのにすごく体力を使うため。食事を制限すれば、そこに力を使わないのだと。体に負担をかけていないのなら、この生活は続けるべきだなと確信しました。

― ケガや病気をすると意識が変わりますね。

 そこで変わらなければダメだと思います。しかも、中身がなければ無駄。しっかり考えて、本当にやる価値があるのか自分で確認してからやるべきで、周りがやっているからとか、やれと言われて鵜呑みにすること自体、もう結果から遠のいているんです。

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ケガとの戦いの中で見つけた信念の貫き方。水尾嘉孝氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #4】 | ビジネス×スポーツ『MELOS』

[プロフィール]
水尾嘉孝(みずお・よしたか)
1968年5月2日生まれ。奈良県出身。元プロ野球選手。明徳義塾高校から福井工業大学に進学。1990年度ドラフトで1位指名を受け、横浜大洋ホエールズに入団。その後、オリックス・ブルーウェーブ、西武ライオンズへ移籍。2004年、渡米してアナハイム・エンゼルスに入団するも、2006年、首痛の悪化から引退。料理の下積みを経て、2010年、自由が丘に自身のレストランを開店。現在は「Torattoria Giocatore(トラットリア・ジョカトーレ)」のオーナーシェフ。
【Torattoria Giocatore】http://gioca.jp

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<Text:渡辺幸雄+アート・サプライ/Photo:小島マサヒロ>

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