SNSの誹謗中傷を減らすには、「法律の厳罰化」だけでは不十分!有効な対策を心理面から探る (1/2)
前編では、アスリートへの誹謗中傷が起きる要因について考えました。いくつかある中でも、以下の3つが特に大きいようです。
- 「この選手はみんなに迷惑を掛けた」と選手を戦犯扱いする発想
- 「みんなで応援していたのに裏切られた」と被害者意識を持つ発想
- 「ミスをした者は罰しても良い」という歪んだ正義感からの発想
後編では、対策について考えていきます。
法律の厳罰化は予防策としては疑問が残る
まず、法律の厳罰化の声が上がるのではないでしょうか。言葉は、鋭利な刃物にもなります。傷つけたことに対して、厳しく処罰するのは必要なことです。
ただ、被害を与えた後の対策としては有効ですが、予防の効果としては疑問符が付きます。
なぜならば、被害者意識や歪んだ正義感からの場合、加害者意識が薄いからです。検挙された後に犯した罪の重さに気づくパターンで、飲酒運転が厳罰化されても件数がゼロにならないのと状況は似ています。
もちろん、法的手続きを否定しているのではありません。もちろん毅然とした態度で訴えることも大事です。
誹謗中傷者と同じ土俵には上がらない
たとえば、X(旧Twitter)の誹謗中傷のコメントに対して、あなたが反論をしたとしましょう。かえって「火に油を注ぐ」ことが予想できます。そのため、私は「同じ土俵には上がらない方が良い」とお伝えしています。
これは、「泣き寝入りをしなさい」という意味ではありません。そうではなく、あなたが一段高い土俵に上がるということです。 それは、その場の状況に応じて、完璧ではなく最善の手段を講じる「最善主義」を目指すことです。
前回、誹謗中傷を含め、いじめをする側は白黒主義や完璧主義者が多いことを指摘しました。人生のすべてが自分の思い通りにいくことはありません。ミスも起こります。完璧主義の場合、ミスは叱責の対象となります。しかし、最善主義の場合、ミスは受け止めるものになります。
コメントの受け答えなどで「神対応」と呼ばれるケースがあります。この人たちは、自分のミスや他者のミスも受け止める度量の広さを示します。
ここで大事なことは、受け入れることと、受け止めることを区別することです。
「受け止める」と「受け入れる」は異なる
この2つの違いについて。
- 「受け止める」とは、認識すること
- 「受け入れる」とは、認めること
誹謗中傷の相手を受け入れることは、理想としてはOKですが、現実的には難しいのではないでしょうか。また、ネットから距離を置くという方法もあります。
ただ、どうしても雑音は耳に入ってきてしまいます。そこで、あくまでも受け止めるための具体的な方法をお伝えします。
(1)事実と解釈を分ける
書き込みの多くは、書き手の推測が含まれています。「あのとき、〇〇していれば」「なんで、△△ではないんだ?」「お前なんか□□だ」など、どれも事実ではありません。事実とは、本人が行った出来事のみです。
この観点から区別をすると、不愉快なコメントのほとんどは、勝手な推測、邪推、決めつけです。不健全な発言に、健全な人や著名人、アスリートが振り回される必要はありません。
(2)自分の感情と他者の感情を分ける
私たちには、他の人の気持に共感する能力が備わっています。スポーツの「感動をありがとう」がまさに、いい例です。観客が競技者と一体感を味わえたからこその発言です。
ところが、この共感が悪い方に向かうと、他者のマイナスの感情に、自分の感情まで悪影響を受けます。例えば「お前のせいで、不愉快になった」などの書き込みです。
この場合、読み手も不愉快な感情になりがちです。しかし、落ち着いて読み直してください。不愉快な感情の持ち主は、競技をしたあなたではありません。最善主義でがんばったのです。
ぜひ、胸を張ってください。
(1)と(2)を実践することで、「このコメントは、憶測によるものだ」「この憤慨した気持ちは、私のものではない」と、冷静に認識(受け止める)できるようになります。
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