インタビュー
2018年8月1日

月曜から金曜までフィギュアの練習、日曜だけサッカー。プロフィギュアスケーター無良崇人(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #15 (2/3)

氷上の動きは陸上とはまったく違うんです

――サッカーの動きでフィギュアに役立ったことはありますか。

フィギュアは常に動いてはいるんですけど、陸上を走る動作とは全然違い、一方向の動きしかしないので、どうしてもバランスが崩れがち。今考えると、サッカーでいろいろな動きをすることによって自分の体をリセットする感覚がありました。

――体育の成績は?

そんなに悪くはなかったかな。でも意外とフィギュアの選手はどんくさい子が多いんですよ(笑)。球技やバドミントンなどの道具を使う競技に慣れていないから。僕が好きだったのは体操。大学(中京大学)でも体育学部だったので、体操の授業がありました。

――体育学部ということは教員免許を取ったのでしょうか。

取っていません。教育実習に行く時間がなかったんです。4月から夏の間はアイスショーに出ているし、冬は試合シーズン。ほぼ1年中、何かしらあるのでオフがない。オフといえるのは、世界選手権が終わった3月末から4月中旬までしかありません。

――コーチはずっとお父さんですか?

最初からうちの親父です。当初通っていた千葉県内のスケートリンクが閉鎖になって、東京の神宮(神宮外苑アイススケート場)に移ったときに、途中、親父の教え子だった方に教えてもらっていたことがあったのと、大学(中京大)時代に名古屋のコーチについてもらっていたことがありましたが、その後、拠点を岡山に移して親父に戻りました。

――練習でも家でも一緒ということになりますね。

そうですね。親父と腹を割ってちゃんと接するようになれたのは18歳か19歳くらいのとき。それまでは“お父さん”というより“コーチ”の認識のほうが強かったですね。家族で遊びに行ったり旅行したりしないわけではないんですけど、うちのおふくろもフィギュアのコーチをしているし、一人っ子で週6日間フィギュアの練習をしているので、家に帰ってもその話題が多い。そのせいか、自分のなかで“コーチ”という認識が払拭できない。

甘えるというよりも一歩引いた感覚がありました。おふくろが間に入って、僕が親父に直接言えないことや親父が僕に言えないことをおふくろを通して言う。「直接言えばいいのに」と思いながらも、「あ、俺も直接言ってないな」と。

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