インタビュー
2018年10月4日

中学はサッカー部から野球部に。4番だったけれど、将来の夢は「プロレスラー」でした。総合格闘家・宇野薫(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #17 (2/3)

中学卒業後プロレス入門を目指したが、父の意見は

――進学先の横浜高校は野球の強豪校ですが、野球を続けようとは思わなかったのでしょうか。

野球を続けるつもりはなかったですね。幼稚園のころからプロレスが好きで、その後少しの間、熱は冷めていたのですが、中学3年生の進路を決めるころに、友だちから「プロレスおもしろいよ」と言われて、また見出したら夢中になってしまって。

あこがれの船木誠勝選手が中学を卒業してすぐにプロになったと聞いて「僕も」と思って、父に「卒業したらプロレスラーになる」と言ったら、「高校は出ろ」と。それなら高校でプロレスの基礎になることがしたいと、レスリング部のある横浜高校を受験したんです。横浜高校は鈴木みのる選手の母校でもあります。野球部が強いとは知らずに受験しました。

――なぜそこまでプロレスにこだわったのでしょうか。他のスポーツとの違いは?

強さでしょうかね。そういうものにあこがれたんです。個人競技というのも自分に合っているのだと思います。高校のレスリング部で先輩に「強くなりたかったら自分で練習しろ。練習しなければ結果が出ないだけ。それは自分の責任だ」と言われました。

もともと中学でのサッカーや野球も、チームの意識はあまり持っていなかったかもしれない。いまでこそ草野球、フットサルを趣味として楽しんでいますが、それぞれ自分の役割を考えてまわりを気にしながらプレーすることの難しさを感じますね。すごいなと思います。

――幼稚園のころからプロレス好きということは、小さいのころの夢はプロレスラーでしょうか。

小学校の文集では「スポーツ選手」「大工さん」。父方の祖父が宮大工で、図工の成績もよかったので「大工さん」だったのだと思います。「スポーツ選手」は体を動かすことが好きだからですね。特にスポーツ一家というわけではないんですが。

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