インタビュー
2018年10月4日

中学はサッカー部から野球部に。4番だったけれど、将来の夢は「プロレスラー」でした。総合格闘家・宇野薫(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #17 (3/3)

プロテスト不合格、でもやはり「選手になりたい」

――高校卒業後、いよいよプロレスラーを目指したわけですね。

高校3年のときに船木選手、鈴木選手が旗揚げした総合格闘技団体「パンクラス」のプロテストを受けました。当時、プロレスは身長180センチ、体重100キロ以上という規定があったのですが、パンクラスは小さい選手でも採用していたんです。でも、テストに落ちた。それで「トレーナーやサポート役としてスポーツに携わりたい」とスポーツ専門学校に進学しました。

一緒にパンクラスのテストを受けた同級生(元総合格闘家の渋谷修身氏)は受かってプロになったんで、内心では選手になりたいという気持ちがずっとあったんですけど、一方でちょっと遊びたいという気持ちもあって(笑)。

――レスリングでオリンピックを目指すという道は考えませんでしたか。

インターハイにも、全日本ジュニアレスリング選手権大会にも出場しましたが、プロレスへのあこがれはぶれなかった。総合格闘技の道に入ってから、プロレスの大会に出場する機会があって(2000年、INOKI BOM-BA-YEでプロレス初参戦)すごくうれしかったですね。ちょっと道はズレちゃいましたが、夢が叶って幸せなことだなと思いました。

ただ振り返ってみると、中学を卒業していきなりプロレスに入門するのではなく、高校のレスリング部に入ってよかったと思っています。コンタクトスポーツはレスリングが初めてだったので、練習についていくのがやっとでしたから大変でした。

それでも部活を「やめたい」と思ったことは一度もないですね。何をしに高校に行ったかといえば、「レスラーになりたい」というその思いだけ。それだけで3年間通ったようなもの。今思えばもう少し勉強すればよかったんですが(笑)。

――両親から「プロレスは危険だから、別の職業に就いてほしい」と言われたことは?

ありません。好きなことに対しては母も父も何も言わずやらせてくれました。専門学校在学中の19歳のときに父親が亡くなったのですが、それがきっかけで、もう一度「自分が本当にやりたいことはなんだろう」と考え直し、やはりプロの選手になりたいと改めて思って総合格闘技「修斗」の公式ジム「シューティングジム八景」に入門しました。そこで佐藤ルミナさん(元総合格闘家)と出会い、総合格闘技の道へ進むことになったんです。

後編:小さいころから得意だったモノマネが格闘家人生にも子育てにも役立っています。総合格闘家・宇野薫(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #17

[プロフィール]
宇野薫(うの・かおる)
1975年生まれ。神奈川県出身。1996年の全日本アマ修斗選手権で準優勝、プロデビュー。1999年、第4代修斗ウェルター級王者に。2001年からアメリカのメジャー大会UFCに参戦。国内でもK-1、HERO'S、DREAMなど数多くの大会に参戦。2009年には再びUFCに挑戦、2010年からDREAM、2012年から修斗に再参戦。現在も2018年旗揚げしたQUINTETに参戦するなど「日本が誇る総合格闘技界のパイオニア」として戦い続けているほか、自身のファッションブランド「UCS」「ONEHUNDRED ATHLETIC」のディレクターや格闘技ビギナー向けのプログラム「UNO DOJO」のヘッドトレーナーも務める。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

1 2 3