「勝ち負けに関しては何も言わない」。天才少女を生み出した両親の“子どもの伸ばし方”。スピードスケート髙木美帆(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #1 (2/3)
父はスポーツが大好きで子どもの世話も焼きたがる人。練習や大会を必ず見に来てくれていましたが、もともと口数が少ないので、「ここの滑りこうしたほうがいいぞ」といったことは絶対に言いませんでした。スケートもサッカーもダンスも自分自身がやってきたわけではないから言えなかったというのもあるのかもしれません。ただ黙って、練習の帰りに車を運転してくれて。それで、家のだいぶ手前で止めて「ついたぞ」って。兄妹3人で「えっ、マジ!?」って、仕方なく降りてそこから家までランニング……。そういうことをしてくれていました(笑)。
母は無関心なわけではないんですが、やはり競技に関してそれほど詳しいわけではなかったので結果はあまり気にしない。練習態度が不真面目だと怒るけれど、勝ち負けに関して何か言われたことは一切なかったですね。いい結果を出しても「お疲れさま、たいへんだったでしょう?」と言う程度。
――それに対して高木さんご自身はどう思いましたか?
そんなものだと思っていました。この記録がどれくらいすごいのか、もしかしたらわかってないのかも、って(笑)。
――結果に一喜一憂してプレッシャーを与えないようにしてくれていたのでしょうか。
どこまで意識してくれていたのかはわかりませんが、高校くらいになるとだいぶ気を使ってくれていたとは思います。一時期、成長期でぽっちゃりしてたときがあり、「お弁当のおかずを替えたい」と言ったら快く協力してくれました。母も出勤前で時間のないときにお弁当のおかずを一品替えるのはなかなかたいへんなことなんですが、「面倒」という雰囲気を出すことなく協力してくれて心強かったですね。自分が「こうしたい」という希望には、惜しみなく協力してくれて、すごい両親だと思います。
思春期のときは、親に練習を見られるのが嫌なときもあったんです。父がスケート場の上のほうの席に座って見ていて「また来てる……」って。練習が終わったら荷物だけさっさと預けて、自分は一人で自転車で帰ったこともありました。でも、今思うと、子どものやっていることに関心を持ってくれる親でよかったなと思いますね。リンクサイドではなく上から見ているというのもいいですよね。リンクサイドだと圧があるじゃないですか。
母は私が中学高校にあがってから送り迎えなどはしてくれましたが、練習を見に来たことはありません。仕事も家事もあって余裕がなかったというのもあるんですけど。父と母の距離感のバランスもちょうどよかったのかもしれません。無関心ではないと分かっている分、遠くから見守ってくれているという安心感はありました。