インタビュー
2022年7月28日

習い事はピアノ、英会話、書道。たまたま出会ったクライミングにハマってしまいました。スポーツクライミング・野口啓代(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #31 (3/4)

「勝ってほしい」とは一度も言われたことがなかった

――野口さんが子どもの頃は、クライミングは今よりももっとマイナーだったと思います。

そうですね。周りにはいませんでした。最初は私と父と妹の3人でクライミングジムに通い始めたのですが、中学に上がる頃には父も妹もクライミングをやめてしまいました。それでも続けていたのは、私にとってクライミングが一番楽しいから。他の人と一緒じゃなくても、1人でも続けたいと思えたものなんだと思います。ただ、当時はそれこそオリンピック種目ではなく競技人口も少なかったので、プロになるという考えは全くありませんでした。

――競技人口が少ないと強くなった先のルートもなかなかイメージがつかないですよね。お父さんは自宅に壁を作ってくれたほどですから、かなり熱心に応援してくれていたと思いますが、どのように接してくれていたのでしょうか。

父はあちこちの大会を調べてエントリーしてくれて、車で連れて行ってくれました。実は、このジム(インタビューを行ったジム)にも、子どものころ大会で来たことがあるんですよ。本当にたくさん連れて行ってくれましたね。

始めた頃は国内のちっちゃな大会に出て「楽しいな」というレベルでしたが、たぶん父が思っていた以上に成績が出せたんでしょうね。気づいたらシニアの大会に出て、世界大会に出て⋯⋯というふうにちょっとずつ大会のレベルが上がっていった形です。

今、大人になってから思うと、父の私に対する距離感というんでしょうか。すごいうまかったな。私のことをすごくわかってるなっていう感じがします。

――どのような距離感だったのでしょうか。

子どもの頃からオリンピック出場に至るまで、父や母から「勝ってほしい」といった成績に関することは一度も言われたことがないんです。勝ったらもちろん喜んでくれましたけど、負けた日や調子が悪いときに「なんでできなかったの」「練習しなかったからだ」と責めることもなかった。私が頑張るんだったらできる限りのサポートをするよ、という感じ。私だったらもっと言いたくなっちゃうと思いますね(笑)。

――練習場建設や遠征費などかなり支出されているでしょうから、つい口を出してもおかしくないですね。

お金はもちろん、労力もかかっていますし。でも何も言わずに私のペースで、サポートはするけど口は出さないというのは改めてすごいなと思います。中学の時に一時期、クライミングに対するモチベーションが落ちてしまったことがあったんです。友だちと遊びたくて週に数回しか練習せず、そのうちやめちゃうのかな⋯⋯みたいになってしまって。そういう時もやっぱり「練習しなさい」とは一切言わなかった。

酪農で忙しくてそこまで子どもをかまえないというのもあったかもしれないですが、「やりたいことをやりなさい」という感じでした。「こうすればよかったのに」というアドバイスもなかったですね。父はコーチや選手をやっていたわけではないし、そういったことは私本人にしかわからないことなので。それもありがたかったです。

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