インタビュー
2019年3月5日

いだてん・中村勘九郎「(生田)斗真と『とにかく命がけでやろうね』と話し合った」。日本人初出場のオリンピックを描く「ストックホルム青春編」へ突入 (2/4)

ストックホルム編から撮影カメラを変えました

――ストックホルム編が始まってから、オープニングを含めて印象が変わった。

西村:まず、カメラを変えました。国内編のものより被写体深度の深いものにした。北欧感を出すためのルック作りで、色味も変えました。そのあたり、こだわって撮っています。そして、金栗さんの目線を大事にした。ラザロ(ポルトガルのマラソン選手)と出会うシーンなど、はじめは何も分からない、だからお互いに身振り手振りで伝える。テロップを出す、出さない、の判断があったわけですが、台本から「どこまでだったら分かるんだろう」を判断していきました。ボクたちが海外旅行したり、実際に現地で生活したりしたときにリアルに感じるであろう“手探り感”を映像にも出したかった。オープニングのタイトルバックも手を加えました。今後も、少しずつ変えていく予定です。

――白夜に苦しめられるシーンがある。ご自身も経験した?

中村:個人的に、ストックホルムは2回目でした。1回目は20歳前後のときに、父と舞台の仕事で行った。そのときは1日中暗かったんです。だから今回と印象が全然違った。暗いと、こっちまで気持ちが暗くなりますね。逆に白夜になると寝られない。スポーツをするにも、普通に生活をするにも、これは相当、大変なこと。それに加えて、サマーフェスでホテルの周りでは皆、陽気に歌っていて。不眠の上にあんなことされたら、正直きついですよね。

行く先々でヤーパン、ヤーパンなどと言われ、さまざまなコンプレックスも抱えることになる金栗さん。そんなときに、フェスの舞台で歌えと言われるんです。もともと金栗さんは歌が苦手な人ですけれど、日本を背負っている意地ですよね。ガムラスタンと呼ばれる旧市街で撮ったんですが、歌声が街角にこだましていました(笑)。

ストックホルム編では、完全に弥彦が恋人でしたね

――落ち込む三島弥彦を励ます金栗四三のシーンが印象的だった。

中村:ストックホルムにおけるホテル内のシーンは、実は帰国後にスタジオで撮影しています。つまり海外で濃密な時間を過ごした後。だからボクも無意識に、三島さんと恋人のようにベタベタしていました。物語の時系列からすれば、2人にはまだ距離があった段階の出来事。演出からも「ここはもっと距離があります」と言われて、「いけないいけない」とシフトチェンジしたのを覚えています。

三島天狗は、16歳から負け知らずの“とつけむにゃー男”でした。それが、異国の地で正気を失ってしまう。ここは、台本を読んだときから衝撃的でした。金栗さんは気後れせずに「我らの一歩は日本人の一歩」と声をかけます。心の中から出た言葉です。撮影していて、とても楽しかったですね。三島の練習相手になったりして。あのことをきっかけに、三島さんをより近くに感じていく金栗四三です。

――金栗さんは、三島と密着するシーンが続く。台本にもそう書いてある?

中村:ほとんど、台本に書かれている通りです(笑)。普通の台本なら、元気を出してと励ました後に「ありがとう」と言って、お互い抱き合って終わると思うんです。でも、それで終わらない。挙句の果てに、安仁子にも現場を目撃されてしまう(笑)。宮藤さんは天才だな、と思いました。難しい本ですが、ちゃんと気持ちを込めて演じることを心がけています。

西村:彼らを追体験するように撮っていると、言葉の通じない海外で若い男の子が2人で生活せざるを得ない状況。ほかに頼れる大人もいません。ロッカールームも男だらけですし、なんとなく、なんとなくですが、自然とくっついていくのではないかと思いました(笑)。そうならざるを得ないと、撮っていて感じました。

中村:ストックホルム編では、完全に弥彦が恋人でしたね! どっちかというと、自分がヒロインパート(笑)。それは自覚しているんです。今後も、いろんな人と組んでいきますが。金栗さんがホテルの自室で押し花をするシーンが出てきますけれど、あれも実話なんです。現在もそのときのノートが残っているんですね。最初、読んだとき笑っちゃいました。より女子感が出るように、照明さんがライティングも凝ってくれました。

西村:リハーサルで、勘九郎さんがだいぶ女形の芝居してきたんです。「ちょっとこれは行き過ぎかもしれません、勘九郎さん!」と注意した記憶があります(笑)。

――ストックホルムでは、金栗さんも感情を表に出すようになった。演じていて感じたことは。

中村:もともと金栗さんには“肥後もっこす”(熊本県人の気質で、頑固モノの意味)の気質があったと思う。それが、いままで描かれていなかっただけ。向こうに行ってからは、本当に三島さんと2人きりになる。頼りの嘉納治五郎先生は、到着が遅れていました。そのフラストレーションもあって、思いをぶつけなければ心の安定が保てなかったんでしょう。不安、プレッシャー、孤独、寂しさの中で戦っていました。ボクも「ここまで主張して大丈夫ですか」と相談したんです。そうしたら武五郎さんからは「どんどん出して欲しい」と。出来上がりを拝見して、なるほどその通りでした。

――海外の俳優は、現地で採用した?

西村:ポルトガルでラザロを、フランスでクーベルタンを採用しました。ストックホルムでは案内役のエディ青年を。各地で書類、ビデオオーディションをやって15人くらいまで絞ってから、演技のオーディションをやって。ラザロには、実際に駐車場で走ってもらいました。

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