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2018年7月17日

エベレスト登頂はそこまでハードルが高くない。“冒険家弁護士”福永活也が語る登山(前編) (3/3)

登山では死は想定の範囲内。死んだら「しゃあないな」

――短い期間で一気に3つの大陸最高峰を制覇しましたね!

アコンカグアが想像よりも順調に登れたので、自分でも「この1年は登山の年だ!」とどんどん挑戦してみることに。アコンカグアから帰ってきて、1か月後くらいにヨーロッパ大陸最高峰エルブレース(ロシア)に飛びました。出発の数日前に東京マラソンを完走していて、足のバネが全然回復していない状態で飛行機に乗った覚えがあります。

――どうしてそんなスケジューリングを立てたんですか(笑)?

調子に乗っていたんでしょうね(笑)。というのは冗談ですが、ある程度高い山を登る場合には、前回の山から時間を空けずに登る方が、高度順応の効果が残ると言われているんですよ。

――真冬のロシアの山ってすごく寒そう。

南極や南米は南半球なので、12月や1月は夏ですが、ロシアは北半球なので2月は真冬です。僕がエルブレースの麓に着いた時点では、まだこの冬のシーズンでは登頂者は1人も出ていませんでした。夏に行けば簡単な山なのですが、真冬のエルブレースは、僕の登山経験の中では最も過酷でした。気温はマイナス30度くらいですが、地面がガチガチに凍っているところが多くて、アイゼン(足裏に着けるトゲトゲの装備)も刺さりにくく。でも転んでしまうと斜面が巨大な氷の滑り台みたいなものなので転げ落ちてしまう。実際、この冬も2人の登山者が滑落で亡くなっていました。

そんな中、(夏のシーズンなら)アコンカグアよりは遥かに難易度が低いエルブレースに気を緩めてしまっていたのか、アタックの日には、出発したロッジにミトン(保温性が最も高い手袋)を忘れてしまうというハプニングがありました。すでにある程度上まで登ってしまっていて引き返すこともできず、とりあえずそれまでしていた手袋の上にビニール袋をかぶせて対処して。それで指を冷やしたせいか、下山後も1か月くらいは痺れがとれませんでした。

アタックの日は朝3時に出発して、登頂して下山したのが深夜12時で、21時間も歩き続けました。特に登頂後の下山途中にはほぼ体力を使い果たしてしまっていて、歩くスピードも極端に落ち、モチベーションも下がってしまっていました。そんなことは絶対にありえないとわかっているにもかかわらず、歩けなくてもジェットスキーとかで迎えに来てくれるんじゃないかとか、冬は高所のロッジが開いていないっていうけど緊急事態になったら中で寝ることはできるだろうとか舐めたことを思っていたんですけど、もちろん無理で。わかっていることでしたが、これは本当に自分の足で全て歩き切らなければならないんだ、これが「山」なんだ、と悟りました。そんな間にも、気温は少しずつ下がり、吹雪が増して視界が悪くなっていき、山には一切の情けが通用しないんだと改めて思いました。

――命の危険を感じることもありましたか?

氷の斜面を歩いていると、転んで滑落したり、クレバス(氷雪の割れ目)に落ちたりしてしまう危険性が常にあるので、歩いている時はガイドと自分をロープでつないで、テンション(ピーンと張った状態)を維持したまま一定の距離を離れて歩くのが鉄則。仮にロープに弛みがあると、例えば滑落しそうになった時に、弛んでいる分だけロープが張るまで体が落ちてスピードが出てしまい、一方が落ちた時にもう一方も巻き込まれて一緒に落ちてしまうからです。そのため、お互いに近づくときはロープを巻き取りながらテンションを維持しなくてはいけないのですが、僕が疲労からその余裕がなく、ロープを弛ませたままガイドに近づいた時に転んでしまって。

――ズルズル滑ってしまったと?

ズルズルではなくて、一気に落下していく感じでした。斜面の氷が本当にツルツルしていてストックも刺さらなくて焦りました。ガイドが体勢を維持して、転ばずにロープを支えてくれたのでよかったですが、初めて、登山とは人が死ぬ可能性が十分にある場所だと具体的に意識した瞬間でした。

――そんな経験をしたら、トラウマになって山に入れなくなってしまいそうです。

うーん。そこは平気かな(笑)。僕を含めて山を趣味にしている人って、死とか怪我のリスクがあることをわかってやっているんです。だから好きなことをやって死ぬのなら仕方ないな、山で死ねるなら本望だと死を受け入れている人が多いと思います。死は想定の範囲内で「しゃあないな」という気持ちがどこかにある。まあ、本当に死に直面したときには、「死にたくない」という動物的な本能が出ると思いますけど、少なくとも人間的な感覚では「しゃあない」と思っています。

後編では登山をすることで福永活也さんの生き方がどう変わったのかを語っていただきました!

[プロフィール]
福永活也(ふくなが・かつや)
1980年11月12日生まれ、三重県出身。ワタナベエンターテインメントグループ所属。大学卒業後、一般企業に就職するも2か月で退社。2年間フリーターとしてフラフラした生活をしていたが、父の死をきっかけに一念発起し弁護士を目指す。27歳で司法試験合格。2014年に福永法律事務所を設立。2017年4月「JAPAN MENSA」の会員に。レストラン「Si」、モデル事務所「Apas」、人狼ゲーム店舗「VR人狼渋谷」などの経営にも携わるなど多方面で活躍。【公式Instagram】@fukunagakatsuya【公式Twitter】@fukunagakatsuya

<Text:酒井美絵子(H14)/Photo:菊池貴裕>

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