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2024年8月1日

オリンピックはなぜ「平和の祭典」と呼ばれるようになったのか|世界が動いたスポーツ記念日 (1/2)

「世界が動いたスポーツ記念日」シリーズでは、世界規模で話題になったかつてのスポーツトピックを厳選。スポーツがいかに人々や文化に影響を与えたか、その偉大さに触れていきます。また、記念すべきその日に生まれたトップアスリートもあわせて紹介しています。

現代に通じる五輪大会になったのは「第4回オリンピック大会」から

1908年4月27日から同年10月31日まで、イギリス・ロンドンで第4回夏季オリンピックが開催されました。

もともとはイタリアのローマで開催される予定でしたが、1906年にイタリアのナポリ湾岸にあるヴェスヴィオ山が噴火し、その影響がローマにも及んだため、急きょ開催地をロンドンに変更したという経緯があります。

近代オリンピック競技大会第1回は、欧米先進国・男性のみの出場

ちなみに、近代オリンピック競技大会第1回として開催されたのは、ご存知のようにギリシャ・アテネ。参加したのは欧米の先進国14カ国で、さらに男性のみしか出場できませんでした。

そして続く第2回、第3回は、諸処の事情により万国博覧会の付属国際競技大会として実施されています。

つまり、第3回までのオリンピックは、まだ世界規模のスポーツの祭典というにはやや小さいものでした。そして今回紹介する第4回ロンドン大会こそが、規模や概念において現代のオリンピックに通ずるきっかけになったと言えるのです。

第4回ロンドン大会が、今のオリンピックの形態を形作った

第4回ロンドン大会に出場したのは、全22カ国と地域から1999人の選手たち。

第3回までは、個人やチームで申し込めば誰でも参加できたことに対し、第4回からは各国のオリンピック委員会を通じて参加する形式を採用しました。

つまり、今日におけるオリンピックと同形の流れを作ったと言えるのです。

さらに同大会の競技種目には、意外にもフィギュアスケートが実施されています。後年開催されることになる冬季オリンピックの布石と言えば大袈裟ですが、きっかけのひとつになったことは間違いないでしょう。

つまり、第4回大会には、オリンピックの原点と言える要素が満載だったのです。

オリンピック精神の表現もここで生まれた

ロンドン大会でもっとも多くメダルを獲得したのは、計146個(金56個、銀51個、銅39個)を記録した、ホスト国であるイギリス。

もともと実力のあったロンドンに対し、この頃から急速に国力をつけていったアメリカがお互いをライバル視し、険悪なムードが漂ったものの、ペンシルバニア大司教であるエチュルバート・タルポット氏が、「オリンピックにおいて重要なのは、勝利することよりむしろ参加したことであろう」と発言したことにより沈静化。これが後にオリンピック精神の表現として引用されるようになったと言われています。

ちなみに、同大会の参加国は22で、残念ながら日本は不参加となっています。

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