インタビュー
2020年5月26日

アップアップガールズ(2)鍛治島彩「万年補欠だったけど、バスケから多くのことを学んだ」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#29 (1/3)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。

 今回お話を伺ったのは、アイドルグループ、アップアップガールズ(2)の鍛治島彩さん。小学校2年生から中学3年生までの8年間、バスケットボールに打ち込んだにもかかわらず、試合には一度も出られない万年補欠だったそうです。

それでも諦めずにバスケを続けられた理由は、中学で出会った恩師の教えにあったといいます。そして、その先生からもらった言葉に支えられて、今もアイドルを続けているとか。

 前編では、試合に出られなくとも諦めずに頑張り続けた思い出について語ってもらいました。

姉の影響ではじめたバスケ

――以前、同じグループの吉川茉優さんがマラソンに挑戦した際に、ちらっと出演していただきましたね。

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その節は、ありがとうございました! 私もいつか出てみたいと思っていたのでうれしいです!

――今回は鍛治島さんが主役で、バスケットボールの経験をお聞きします。

バスケの練習は皆勤賞だったし、ガチで頑張ってましたけど、8年間ずっと補欠だったんです。そんな話でも大丈夫でしょうか……?

――一生懸命頑張っていたなら、まったく問題ないです! バスケはどんなきっかけではじめたんですか?

お父さんがもともとバスケ好きで、バッシュ(バスケットシューズ)とボールを買ったとき、ひとつ上の姉が興味を持ってミニバスをはじめて。そのとき私も一緒に入りたかったんですけど、なぜか2年生からしか入れなかったんです。

それで1年間、お父さんと一緒に姉の練習を見に行き続けて、2年生になってすぐに入りました。チームはけっこう強くって、市では1位の常連でした。県大会にも出てたんじゃないかな。

――当時はどんな練習をしていたのでしょうか。

最初から先輩と同じ練習はできないので、最初は基礎練習ばかりしていました。それで上達してくると上級生と混ざるようになって、3年生になるとみんな同じ練習をするようになります。4年生になった頃には、同期メンバーの中でぽつぽつとユニフォームをもらう子が出てきて。

でも、私はずっとユニフォームをもらえず、次第にマネージャーみたいな仕事を任せられるようになったんですよ。試合ではいつもコーチの隣に座ってスコアを書いていました。

――ボールを持つより、ペンを持つ時間が増えていったんですね。

チームに入ったのは同期の中で自分がいちばん早かったので、すごく悔しかったです。最初の頃なんて、後から入った子に「荷物はここに置いてね」「こうやってモップがけするんだよ」って教える側だったのに、あっという間に抜かされて。

それでも週4回の練習はもちろん、自主練もほぼ毎日欠かさずに続けてました。走る練習メニューが多いチームだったので、思い出せる光景は、いつも走ってばかり。

いちばんつらかったのは「シャトルラン」という練習です。フリースローライン、ハーフライン、エンドラインを、それぞれダッシュで往復するメニューで、制限時間内にゴールできないと、もう一本やらないといけなくて。

走り過ぎて記憶があいまいなんですけど、いつも時間内にできないのは私を含めた補欠メンバーの子ばかり。バスケがうまい子って足が速いんですよね。

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