世界のメダルまで到達した“型破り”と“純粋さ”の師弟関係。競泳・小山恭輔×コーチ・八尋大(前編)│わたしと相棒~パラアスリートのTOKYO2020~ (3/3)
師弟のスタンスは、“付かず離れず押し付けず”
――小山さんは、自分の身体の特徴に合わせてコーチが適切な泳ぎを見出してくれることに対して、どのように感じましたか。
小山:「こうすれば速く泳げるよ」という情報を提供してくださるので、速くなることが楽しかったです。何というか、“夢を作ってくれる人”みたいな。速く泳げると、やはり楽しいと思うので。
八尋:ドリームメーカーだね(笑)。そもそも水泳を教える時に、今までどおりのセオリーをコピーすることは、すぐにでもできたんです。でもそれは何か違うんじゃないかなと思って。もう少し視野を広げたいなと思って、アメリカやオーストラリアへも行った。でも最終的に気づいたんです。それを真似しても、結局遅れてしまうと。じゃあどうするのか。自分のオリジナリティを作って、世界を目指せばいいんです。
その発想は教科書には載っていないんですね。小山とか、別のパラ水泳選手に出会った時に思ったのは、マニュアルがないということ。アメリカの選手はこういう練習をしているから、ということに固執したらおそらくダメだったんです。僕らは常に世界一を目指すことが前提にあるから、誰もやったことがないけれど、「これがいいだろう」と思うことに常にチャレンジして、テストして、を繰り返す。お互いに考え続けていくから、お互いに高まる。世界一を目指すのは、ワクワクするじゃないですか。
小山:でも会ったばかりの頃はあまり……。
八尋:分かってなかったよね。「世界目指しちゃうか?」「お、お、おー!」みたいな感じです(笑)。水泳界で良いとされている方法も、彼に合うのかということも考えました。例えば、週に10回練習することがセオリーだとする。でも、僕らには合わなかった。体力が持たない、疲労で翌日の練習に集中できない。練習のために練習をしているのではなくて、レースでパフォーマンスを最大化することを目的としているんです。
例えば、僕もいまだにレースに出場しますが、トレーニングを積んでいないのになぜ現状維持ができるのかを考える。そこから練習量を増やすことへの疑いが生まれる。だから、小山が「今日は気分が乗らない」と言った時に、「俺もそんな気分じゃないな」ということでもいいんじゃないか、と。はたから見ると不真面目なようだけど、僕らは1回1回、中身の濃い練習をしたいから、無理をして質が上がらないのなら、集中してできる別の練習に切り替えた方がいいと考えています。“つかず離れず押し付けず”ですね。
小山:そうですね。でも、2014年の時とかは(関係が)酷くなかったですか?
八尋:そう。2014年の仁川アジアパラ競技大会の時に、中国の選手にボコボコにされて……。
小山:もう、メンタルがブレイク。
八尋:「もう、水泳はいいかな」とか言い始めて。
――練習に行かなくなったんですか?
小山:連絡すら取らなくなりましたよね。
八尋:そう。音信不通になった。その時に、僕は放置したんです(笑)。しばらくして会った時に、「これからどうするか」と。その時に僕は「(水泳を)やりたくないのなら、やりたくなった時に連絡してこい」と言いました。それから徐々に連絡が来るようになって「ぼちぼちやるか」と。
毎回そうなんですけど、小山のピークは4年に1回の周期なんです。4年間丸々頑張るのではなくて、パラリンピックの前、例えば2年前にあたるアジア大会で苦戦して、奮起して、パラリンピックに合わせるといったような。今年は東京2020の2年前。今も障がいのクラスや泳法規則の変更など、いろいろと問題が起きてはいるんですが、僕らは大逆転できると思っています。
後編:コーチが感じた“相棒”の成長。「僕らは水泳で自分を表現している」。競泳・小山恭輔×コーチ・八尋大(後編)
[プロフィール]
小山恭輔(おやま・きょうすけ)
1987年生まれ、東京都東久留米市出身。日鉄住金P&E所属。パラ競泳S7クラス。中学2年の時に脳梗塞を発症し、右半身麻痺となる。大学1年の時から本格的にパラ競泳を始め、北京パラリンピックでは50mバタフライで銀メダル、ロンドンパラリンピックでは銅メダルを獲得。リオパラリンピックでは同種目5位入賞。
[プロフィール]
八尋大(やひろ・だい)
クラブチームBLASTWAVE aquatics代表。1974年生まれ、東京都八王子市出身。国士舘大学体育学部卒業後、筑波大学の研究生を経て、オーストラリア体育大学に留学。帰国後、水泳のコーチを始める。2012年ロンドンパラリンピック水泳日本代表コーチ。自身もスイマーとして現在もさまざまな大会に出場している。現在は、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科社会人修士課程にてトップスポーツマネジメントを勉強中。
《連載「わたしと相棒~パラアスリートのTOKYO2020~」バックナンバー》
・【#1:前編】無くても走れる、でも不可欠。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性
・【#1:後編】2020年を試行の場にはしたくない。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性
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・【#2:後編】“経験の1年”から“挑戦の1年”へ。車いす陸上のホープとマシン・エンジニアが上る最速への階段
・【#3:前編】オーダーメイドのトレーニングで、広がる視野と可動域。パラ卓球・岩渕幸洋×パーソナルトレーナー・土田憲次郎
・【#3:後編】課題は「全部」。“守・破・離”の精神で2020年までギアを上げる。パラ卓球・岩渕幸洋×パーソナルトレーナー・土田憲次郎
・【#4:前編】視覚障がい者マラソンの女王と元実業団ランナーの邂逅。思い出は、“山登り”。マラソン道下美里×ガイドランナー河口恵
・【#4:後編】立場は違えど目標は一つ。たくさんの人に祝福されてスタートラインに立ちたい。マラソン道下美里×ガイドランナー河口恵
<Text:吉田直人/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:玉井幹郎>