器械体操を習ってバク転もできたけれど小学3年生でカヌーに転向、でも川が怖かった。カヌー日本代表・羽根田卓也(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #28 (3/3)
「親は口を出さない」を守った父
――練習はどのようなペースでしていましたか。
中学半ばくらいまでは、週末と水曜日の週3回。中学3年くらいからは毎日、朝から晩までトレーニングしていました。中学のときは一応バスケ部に所属していたんですけど、あまり練習に行けなくて完全に幽霊部員でしたね。
練習場までは車で40分くらい。親父が連れていってくれました。でも、親父に教えてもらったり親父がカヌーに口出してきたりしたのは、小学校くらいまで。親父は「親は口を出さないほうがいい」と思っていたようです。
そこからは、地元のクラブチームの大人や大学生に混じって指導を受けていました。兄貴もそこに入っていたし選手たちも受け入れてくれていたので、中学からは大人と一緒に大会や合宿に行っていました。高校にはカヌー部があったので、練習場にカヌーを置いて、一人で自転車で通っていました。
――中学くらいで大人に混じって競技を行う経験はなかなかないですよね。
そうですね。子どもはほとんどいませんでした。あの年齢で大人と一緒に活動する機会に恵まれてとても勉強になったと思います。しょっちゅう怒られていましたよ。「声が出てない」とか。そういうことは他の子たちは部活で習うのかもしれないけど、自分はカヌーで身につけました。
――お兄さんも一緒だから心強かったというのもありますか。
それもあるけど、もともとの性格が物怖じするタイプじゃない。いい意味で図太くて「やってやろう」という負けん気の強い性格だったので、海外の大会に行っても平気でした。それがカヌーを通してさらに図太く、度胸がついたのだと思います。
――次男ということも影響していますか。
それもあるかもしれないですね。なにするにしても兄貴が先にいたので。世界大会も兄貴が先に行ってたし、兄貴の存在は大きかった。常に自分の前を歩いていてくれた感じがしたので、安心感がありました。
――そうしたお兄さんの存在がコンプレックスになったことは?
ないですね。種目が違うので直接争うことはなかったし、親父の「親は口を出さない」というスタンスがうまく働いていたと思います。親が兄弟のコーチで、こっちは褒めてこっちは厳しく……ということがあるとうまくいかなかったと思います。
※本記事は2019年11月に公開されたものを再編集したものです。
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[プロフィール]
羽根田卓也(はねだ・たくや)
1987年生まれ、愛知県出身。ミキハウス所属。9歳から父と兄の影響でカヌースラロームを始める。高校卒業と同時に強豪国のスロバキアに単身渡り、現地の大学に在籍しながらトレーニング。2008年北京オリンピック14位、2012年ロンドンオリンピック7位入賞を経て、2016年リオデジャネイロオリンピックでアジア初のカヌー競技でのメダルとなる銅メダルを獲得。2017年、世界選手権フランス大会決勝進出7位。2018年、アジア競技大会で金メダルを獲得。2020年東京オリンピックでの連続メダル獲得を目指す。
<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>