インタビュー
2017年10月26日

「人生のターニングポイントに必ず父の一言があった」。キックボクサー勝次が、苦節8年でチャンピオンベルトを手にするまで (1/2)

 現役選手としてトレーニングを重ねながら、子どもたちにキックボクシングの指導をしている、新日本キックボクシング日本ライト級王者・勝次選手。12月10日、両国国技館で行われるキックボクシングイベント『KING OF KNOCK OUT 2017 両国国技館』において初代ライト級王座決定トーナメント決勝を控えています。

 後編では、父のひとことで始まったキックボクシング界へ入るきっかけから、挫折の日々、周囲の支えなどのおかげでチャンピオンベルトを手にするまでの経緯を伺いました。

▼前編はこちら
・心身を鍛え、人に優しい子に育つ。キックボクシング王者・勝次が教える「キッズクラス」とは

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父親の一言でキックボクシングの道へ

――まずは、キックボクシングをはじめたきっかけから教えてください。

中学時代はサッカー部に入っていて、将来は日本代表の10番になるのが夢だったんです。でも競技人口が多いし、県の選抜メンバーにも選ばれなかったので、高校ではサッカー部には入りませんでした。

その頃、ちょうど近所にキックボクシングジムができて、格闘技好きの親父のすすめでそのキックボクシングジムに入会したんです。1コ上の兄貴と一緒に、学校が終わると毎日自転車で30分かけてジムに通いました。

そしたらある日親父が、「お前は子どもが好きだし、将来はキックボクシングでジムを開いて子どもに教えたらいいと思うよ」って言って。それを聞いて「そうか!」と思って、今もその夢を持ち続けているんですけど(笑)。高校卒業後は、将来を見据えてジム&フィットネスの専門学校に通い、体のこと、指導方法、経営学を学びました。

――地元の兵庫県から上京するに至ったのは?

地元にいるころ、キックボクシングの全日本大会で優勝して、日本代表としてタイで行われたアマチュアのムエタイ大会に出場したんです。そのとき、日本代表を引率してくれたのが現在お世話になっている鴇(稔之)さん(※)。親父がその出会いをきっかけに「これからは、今後のキックボクシング界を背負っていく鴇さんについて行け」と。この一言がまた僕の人生を変えました。そして二十歳のころ、鴇さんに「東京に来ないか」と誘っていただいたので上京し、Kick Boxのトレーナーをしながら本格的にプロを目指すことになりました。


※鴇稔之(とき・としゆき):MAキックボクシング連盟バンタム級元王者。キックボクシングジムKick Box代表、目黒藤本ジムコーチ

引き分け続きで「分次(わけじ)」と揶揄されたことも。挫折まみれの8年間

――今、Kick Boxでキッズクラスを指導されていますが、子どもに学ぶことはありますか?

気持ちがヘコんでいるときや試合前の練習で疲れているときは、子どもの底抜けな元気さや明るさに励まされることが多いですね。僕が子どもの頃は、勝気でやんちゃで、全然親の言うことを聞きませんでした。今、うちに来ている子のほうがよっぽどしっかりしてます(笑)。

――現在は教え子の子どもたちが憧れるチャンピオンですが、タイトルを手に入れるまでは苦労なさったとか?

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