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AKB48佐藤朱「テニスで全国大会出場。あの瞬間はいまでも鮮明に」(前編)│新連載「アイドルと、スポーツと、青春と。#1」

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 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載のスタートです。

 第1回はAKB48チーム8の宮城県代表、佐藤朱さん。高校2年生時に硬式テニスのシングルスでインターハイ(全国高等学校総合体育大会)に出場した経験を持ち、現在もテニス専門誌に連載を持つなど、特技を活かして活躍中です。

 前編では、テニスを始めたきっかけや厳しい練習に励んだ日々の思い出、競技生活で印象に残っている場面について語ってもらいました。

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メガネを拭く余裕がないほど厳しい練習

——まず、テニスを始めたきっかけを教えて下さい。

両親がふたりとも学生時代にテニスをやってたので、子どもにもやらせたいと思っていたみたいです。初めてテニスをやったのは6歳のときかな。それ以来、週末になるとテニスコートを予約して、家族で一緒に練習していました。

——テニスクラブに入ったのも、その時期ですか?

そうですね。でも、その頃は週に1回練習に行くだけで、本気でもなくて。上手さによってクラスが分かれていたんですけど、小学5年生のときにひとつ上のクラスに入ったら練習にまったくついていけませんでした。ついていくのがやっとという感じで、「ああ、本当の練習ってこういう感じなんだ…」って思いましたね。生徒の人数も多いし、体力的にもつらい反復練習ばかり。このクラスに入ってからしばらくの間、毎週レッスンが始まる前に練習についていくための練習をお母さんと一緒にしていました。

 ▲小学生時代、試合に出始めた頃

——悔しかったんですね。

悔しさと、恥ずかしさもありましたね。自分だけずば抜けて下手だったので。周りは同年代の生徒ばかりだったし、「自分もテニスをやってきたのに、なんで……?」っていう気持ちがあったんだと思います。

——自分だけついていけないと、練習前は気が重いですよね。

「今日もきっと自分だけできないんだろうな」って思うと、もう、すっごいイヤでした。でも、不思議とクラブに行くのを辞めるという選択肢はなかったです。それは両親の存在が大きくて。毎週のように練習に付き合ってくれて、「今日はこれができるようになったね」って小さいことでも褒めてくれたんです。あと練習中にアドバイスもくれるんです。「足をもっと常に動かして」「腰を低く」って。母の分析が鋭くて、いつも頼りにしてました。

——その頃は、どのくらいの頻度で練習していたんですか?

レベルが上のクラスになってからは、週に2回、土日に2時間ずつ練習していまいた。そのときは体力を向上させるメニューが多かったですね。たとえばコートを2面使って、長い距離を走ってボールを打つのを繰り返したり。もちろん大切な練習なんですけど、当時は体力が全然なかったので本当にしんどかったです。

——技術よりもまず体力が追いつかなかったんですね。

そのクラスでは、小さいときからテニスを始めて、試合にもたくさん出てる生徒が多くて。みんなに影響されて、「私も試合に出たい」「仲良くなって、一緒にダブルスに出たい」って思うようになりました。それまでは両親と練習してたのが、だんだん友だちと練習するようになっていきましたね。

——周りのレベルが高いと、自分も引き上げられるわけですね。

中学3年生のときに、教わっていた先生が別のクラブに異動することになって、私もついていくことにしたんです。そこではもっとレベルの高い、元プロの田口亮太さんがコーチのクラスがあったので、その練習にも参加するようになって。そこからはテニス漬けの毎日。週6日は練習していました。田口コーチのもとには、全国から生徒が集まるんですよ。私はたまたま地元で出会えたので、ほんとにラッキーでした。

——そのクラスも、やはり練習内容は厳しかったのでしょうか?

そうですね。中3まではメガネをかけてたんですけど、田口コーチのレッスンを受けるようになってからコンタクトに変えたんですよ。というのも、私はすごい汗かきなのでメガネがすぐに曇っちゃうんです(笑)。それまでは拭う余裕があったんですけど、田口コーチの練習は激しすぎてその余裕が全然なくて。そのくらい大変でしたね。

——プロのレッスンはレベルが高いんですね。

コーチとふつうにラリーするだけで、息が上がっちゃうくらいきついですね。プロの打つボールは重いし伸びてくるので。ジュニアの子が打つものとはまったくの別物でした。しかも、疲れてちょっとでも打ち方が変わると「それは教えた打ち方じゃない!」って怒られるんです。

——なかでも一番大変だったのはどんな練習ですか?

カウンターを決める練習ですね。コートの端からスタートして、逆の端まで走ってからボールを打つのをひたすら続けるんですけど、人数が少ないときに限ってこのメニューをやるんです。すぐに自分の番が回ってきちゃうから、ほんとにきつくて…。疲れてくると、もっと活を入れられて。あれはつらかったですね。

——当時のことを思い出してしまったのか、ずっとつらそうな顔をしていましたよ(笑)。

本当ですか(笑)。あと、チャンスボールを狙う練習もきつかったですね。コーチとラリーをしながら甘い球を狙うメニューがあったんですけど、決めるまで終わらないんです。でも、今振り返ってみると、すごい大事な練習だったと思います。「絶対決めてやる!」って気持ちを身につけることができたので。試合でも長いラリーが続いてチャンスボールが来る……っていう展開があるんです。そういうときに「あの練習の状況と似てる!」と思って、確実に得点を決められた試合もたくさんありました。

——試合中にそんなことを考えられるんですね。

その瞬間に考えているわけではないと思うんですけど、「あ、これは絶対に決めなきゃ!」って本能的に感じるようになったんだと思います。チャンスボールが来るときって、ラリーの応酬で疲れてるからプレイしている側としては本当につらいんです。決まらないと精神的なダメージがあるし。でも、練習のおかげでチャンスボールが来たときの気持ちの持ち方が変わりましたね。メンタル的にとても鍛えられたと思います。

——佐藤さん自身は、どんなスタイルのテニスが得意なんですか?

フェイントや駆け引きが苦手で、ストローカータイプでした。いまは身長が170cmなんですけど、小さい頃から背が高くて、背の順ではいちばん後ろしか経験したことがないんです。

——フォアを打つとき、両手で打つスタイルですよね。いつから?

小さい頃からずっとです。子どもの頃って力が足りないから両手で始めることが多いんです。私は片手に変えるタイミングを逃しただけだったのもあるんですけど(笑)。でも、途中で持ち方は変えました。順手で持っていたのを変えて、右手を下にして。バックハンドでもそのまま打つようになりました。これは、教わっていた田口亮太コーチが現役時代は両手打ちだったので、そのスタイルに習って。可動域を広くして、遠心力を利用することで、インパクトを強くすることができました。

インターハイを決めた瞬間は、妙に落ち着いてた

——初めて試合に出たときのことは覚えていますか?

自分でもおどろいたんですけど、小6年のときに初めて出た試合で勝てちゃったんです。両親はすごい喜んでくれてましたね。でも、私自身が、まだ勝ちに対する執着がなかったので「ああ、終わった」って感じでした。あと覚えているのがサーブのことですね。その頃はすごく苦手で、1回サーブを打つのにトスを10回くらい上げ直してました(笑)。

——それは珍しい光景ですね(笑)。

「トスを上げたときに違和感があったら打っちゃダメ」という教えを守りすぎちゃって。巷ではちょっとした名物になってたみたいです(笑)。

——いつ頃から「勝ちたい」と思うようになったんですか?

勝ちたいと思うようになったのはいつだろう……? 初めて県のランキングに入ったときかな。中学のときに、初めて東北大会で勝って、ランキング入りしたんです。そのときはまだその存在も知らなかったんですけど(笑)。お母さんが「ランキングに入ってるよ」って教えてくれて。ポイントによってシード枠が違ったりして、だんだん「テニスってこういうものなのか…」って理解していって。

——テニスを始めてからすいぶん時間がかかりましたね。

そうなんですよ! もっと早く興味を持つべきだったし、もったいなかったと思います。そのあと高1で初めてインターハイ予選に出て、中学生との力の差を痛烈に感じました。体が大きいし力強さがある、大人のテニスという感じで。これについていかなきゃいけないと思って、それからは週6日の練習に加えて、合宿とかプライベートレッスンも入れて、「絶対にインターハイに行くんだ」という目標を立てました。

——テニス人生のなかで一番印象に残っている場面を教えてください。

高2のインターハイ予選。全国出場をかけて戦った試合ですね。猛練習した成果もあって、あと1回勝てばインターハイに行けるってところまでたどり着いて。その試合で対戦したのが、ひとつ年上の選手だったんですけど、以前に対戦して悔しい負け方をしたことがあったので。相手は最後のインターハイ予選ということで、気合が入ってたと思うんですけど。私も「絶対にインターハイに行く」と思って一年過ごしていたので。

——どんな試合運びになったんですか?

すごい接戦で、タイブレークまでもつれて。最後は気持ちの勝負って感じでした。ポイントをとるごとに「カモン!」って大声を出して威圧したり。広い会場だったので、人が多くて歓声も大きくて。そのときのことは、今でも鮮明に覚えてます。そういう気持ちを全面に押し出したプレイって、試合で負け続きだった頃はやったことがなかったんですけど。田口コーチのおかげでそれが出せるようになって、試合の相手も「いつもと違う」って思ったんじゃないかな。

——その試合の最後、勝利を決めたポイントを取った瞬間を覚えてますか?

最後はチャンスボールが来て、相手が動いた方向とは逆を抜いて決めたんです。

——きつかった練習の成果ですね。

まさにそうなんですよ! その瞬間は妙に落ち着いていて、しっかり決めることができました。すごいうれしかったです。

 ▲高校3年生の頃、ダブルスを組んだペアで

——その後、インターハイでも一回戦を勝ち抜いてベスト64になりました。

ドロー運が良かったので、第一シードとかに当たることもなかったので。

——どこまで勝ち上がれると思っていましたか?

一回戦を勝てたらいいなってくらいでした。ジュニアの上手い子たちは関東や関西に行っちゃうことが多いので、東北からインターハイで勝ち上がることってあんまりないんですよ。一回戦を勝っただけでも、巷ではスター扱いされてましたね(笑)。

私服の高校なのにジャージを着ていた毎日

——これだけ好成績を残していると、学校でも表彰されますよね。

そうですね。でも、微妙な成績のときはちょっと恥ずかしかったです。優勝できたときは自信を持って前に出られるんですけどね。

——学校では有名人だったのでしょうか?

どうでしょう? 私服の高校だったんですけど、私は朝練もするので、毎日ジャージで過ごしてたんです(笑)。だから、テニスをやってるいつもジャージの子ってイメージは持たれてたかもしれませんね。

——学校では部活に入ってましたか?

中学では、まだクラブは週2日しか通ってなかったので、ソフトテニス部に入ってました。でも、硬式とはまったく別のスポーツといえるくらい難しかったです。軟式のボールって、しっかり回り込んで打たないとうまく飛ばないんですよ。そのおかげでフットワークは鍛えられました。あと、ソフトテニスはダブルス形式でやることが多いので、連携プレイの練習にもなりましたね。私はシングルスの練習ばかりしてきていたので。

——そして、高校ではテニス部に。

高校時代は、部活に入ってないと大会に出られないので、クラブと両立して参加していました。ひとつ上の先輩に憧れの人がいて、その人とダブルスを組みたいと思ってその高校に入ったんです。その方と組んで試合に出られたのも、いい経験になりましたね。

⇒後編へ続く
インターハイベスト64に輝いた直後にAKB48のオーディションへ挑戦した理由や、テニスで得た経験がアイドルの活動にどう活かされているのかに迫ります! 

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[プロフィール]
佐藤朱(さとう・あかり)/AKB48チーム8
1996年11月9日生まれ、宮城県出身。2014年にAKB48へ加入。硬式テニスでインターハイ出場や、仙台国際ハーフマラソン大会を1時間55分40秒で完走するなど、スポーツが得意。その特技を活かして、テニスのクリニックや雑誌の連載など、多岐にわたる活躍を見せている
【公式サイト】http://toyota-team8.jp/

《出演情報》
・2017年5月20日(土)
〈TOYOTA presents AKB48チーム8 全国ツアー 〜47の素敵な街へ〜〉宮城県公演 仙台サンプラザホール
・毎月12日発売
テニス専門誌『スマッシュ』にて連載「中・高校生応援企画『頑張れ!部活テニス!』」

<Text:森祐介/Photo:今井裕治>

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