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バスケットボールの神様と呼ばれた「マイケル・ジョーダン」のスゴさとは?/いくつ知ってる!?バスケ雑学まとめ【スポーツ雑学百科】

 知って得するスポーツトリビアを厳選してお届けする「スポーツ雑学百科」。今回はバスケットボールにまつわる雑学ネタを紹介していきます。

【第1話】マイケル・ジョーダンのスゴさとは?

 プロバスケットボールを知らずとも、マイケル・ジョーダンの名前は知っているという方は多いでしょう。今さら語るまでもありませんが、元NBAのスタープレイヤーです。15年間の現役生活で10度の得点王、11度の年間最多得点を獲得。さらに1試合の平均得点は31.5点とNBA歴代1位の記録を保持しているなど、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい選手でした。 

 キャリアの中で彼が最も輝いていた時代こそ、シカゴ・ブルズ在籍時でしょう。計6度チームを優勝に導き、5度シーズンMVPを獲得。さらに、彼が付けていた背番号「23」は、在籍していたシカゴ・ブルズと、かつて通っていたノースカロライナ大学バスケットボールチームにおいて永久欠番となり、他チームでも「23」は特別な番号として認識され続けています。

 身長198cm、体重99kgというジョーダンの体型は、NBAにおいては決して大柄な部類に入りません。しかし、高い身体能力を武器に、自分より大柄な選手のディフェンスをものともせず、豪快かつ美麗なダンクを決め続けました。彼が履いているNIKE(ナイキ)の「エア・ジョーダン」という名のバスケット・シューズには、ジャンプマンというマークが施されており、それはジョーダンがダンクをする際に跳躍しているシーンをモチーフにしていることは有名です。とにかくジョーダンといえば、華麗なスラムダンクが武器というイメージを持っている方が圧倒的に多いでしょう。 

 そしてジョーダン最大の魅力といえば、「謙虚さ」でしょう。実績やプレーを見れば、誰でも彼を「天才」と思うでしょうし、実際にそういわれ続けてきましたが、自身はいささか嫌悪感を抱いていたようです。なぜなら、もともとは「普通の選手」だったからで、数ある栄光を手にしたのは、努力を重ねた故の産物に他ならないからです。彼が残したいくつかの名言の中に、象徴的なものがあります。それは、「私は9000回以上シュートを外し、300試合に敗れた。決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ」。この言葉こそ、彼がどれだけ苦労して確固たる技術を得たのかを物語っていますよね。そんな勤勉かつ実直なところも、ジョーダンの大きな魅力といえるでしょう。 

【第2話】いくつ知ってる!? バスケットボール雑学まとめ 

 昨年、日本初のプロバスケットリーグ、Bリーグが発足し、熱狂のうちに昨日1stシーズンを終えました。もともと人気のあるスポーツでしたが、Bさらに熱が高まっているように見えます。今後、NBAのスタープレイヤーがBリーグに移籍! なんてニュースもあるかもしれませんね。以下では、そんなバスケットボールにまつわる雑学ネタを厳選して紹介。あなたはいくつ、知っていますか?

 ●1試合で11人退場したことがあるって本当?

 実をいうとこの事件、我が国が誇るプロバスケットリーグ、Bリーグでの出来事で、2016年10月30日に行われた千葉ジェッツ対アルバルク東京の試合中に起きています。

 事件は、第1クォーターの残り約3分のところで発生。接触プレーの際に選手同士が口論となり、エキサイトした千葉ジェッツ側の選手が相手を突き飛ばしたことから火種が大きくなり、両チームのベンチから控えの選手が飛び出し、もみ合いになってしまいした。結局、両チーム合わせて11名が退場となり、両軍に罰金50万円が科され、痛み分けとなったそうです。開幕して間もない時期に、何とも後味の悪い事件を残してしまったものです。

 ●シカゴ・ブルズがカール・ルイスをドラフトで指名していた?

 1984年のNBAドラフトで、シカゴ・ブルズは10巡目にカール・ルイスを指名していたってご存知ですか? しかしルイスはバスケット経験がなく、陸上選手として活躍中だったため、オファーを辞退しています。ちなみに、その年のドラフトでシカゴ・ブルズはマイケル・ジョーダンを指名し、獲得しています。

 余談ですが、ルイスはNBAのみならず、NFLのドラフトでもダラス・カウボーイズから指名を受けています。本人は陸上に専念したいという理由からオファーを断っていますが、二大人気競技からスカウトを受けるのは、とてもすごいことですね。

●野球に転向したNBA選手がいるって本当?

 第1話で紹介した「バスケットボールの神様」、マイケル・ジョーダンは、1993年にシカゴ・ブルズの三連覇に大きく貢献し、シーズンオフに引退を宣言します。理由としては三連覇達成によるモチベーションの低下や、不慮の事故によって父親を亡くしたショックを挙げていますが、実際のところは野球選手への転向を図っていたことが大きな理由だったようです。

 引退を宣言したジョーダンは、野球への転向を表明。すぐさまシカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加します。しかし、同チームのオーナーは、シカゴ・ブルズのオーナーでもあるジェリー・ラインズドーフ氏。つまり、野球センスを買われてのスカウトではなく、単なるコネ入団であったことが判明。さらにジョーダンは野球経験が乏しく、プロでプレーできるレベルではなかったため、多くのファンから非難を浴びることになってしまいました。

 結局ジョーダンは、練習量の多さや類い稀な高い運動能力が功を奏し、マスコミやチームからも高い評価を受けるようになりますが、ホワイト・ソックス傘下のAA級バーミンガム(マイナーリーグ)で野球選手としてのキャリアを終えることになりました。その後、1995年にNBAへカムバックし、シカゴ・ブルズでプレーすることになります。

<Text:上野慎治郎(アート・サプライ)/Photo:Getty Images> 

《参考文献》
「スポーツ人名事典」日外アソシエーツ
梅田香子 編著「マイケル・ジョーダン 真実の言葉」講談社
梅田香子 著「NBA解体新書」ダイヤモンド社

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