インタビュー
2018年4月23日

“経験の1年”から“挑戦の1年”へ。車いす陸上のホープとマシン・エンジニアが上る最速への階段(後編)│わたしと相棒〜パラアスリートのTOKYO2020〜 (4/4)

鈴木:昨年度は“経験の1年”と捉えていましたが、今年度は“挑戦の1年”と考えています。東京パラリンピックは9月の開催ですから、しっかりそのタイミングで結果を出せるように身体を仕上げていくためのシミュレーションの年です。

2019年には世界選手権があるので、そこでメダルを獲りに行くことが目的で、2020年は何も変えない年にしたいですね。2018年、2019年で、いろいろなことを試して、挑戦して、自分のルーティンを作っていく。それを生かして2020年は万全の状態で迎えたいです。

小澤:私としては、それに答えていかないといけませんね。

――小澤さんは、鈴木さんをサポートしていく上での思いや、目標はありますか? 鈴木選手が競技を続ける限り、対話に終わりは無いかもしれませんが。

小澤:確かに終わりはないんです。なので、あまり「東京2020があるから」ということを考えて仕事はしていません。ただ、日本で開催するからには最大限のことはやりたいと思っています。この1年が勝負です。来年から選手選考も始まるもんね?

鈴木:そうですね。

小澤:選考の中でしっかりと結果を出してもらいたいので、選手の要望に応えられるようなレーサーを作っていきたいと思っています。

――鈴木さんにとって小澤さんはどういう存在ですか?

鈴木:小澤さんに直接伝えたことはないですけど、ぶっちゃけ、“マシン自体が小澤さん”というか、マラソンを走っている時でも、トラックを走っている時でも、小澤さんと一緒に走っているような気持ちです。細かい要望も全て聞いてもらっていますし、今回も400mで日本新記録が出せましたが、良い報告ができることが自分も嬉しいですし、小澤さんにも喜んでもらえている。一緒に走っていて安心できるというか、マシンのことに関しては何も心配しなくて良い、そんな状態です。

小澤:うれしいですね(笑)。

――東京2020はトラック、マラソン両方で目指す予定ですか?

鈴木:現時点では、トラックで目指そうと思っています。選手としては的を絞った方が集中できると思っているので。でも、今年1年間メジャー・マラソンを経験して手応えを掴めば、マラソンも視野に入れる可能性はあります。いずれにしてもライバルは多いです。トラックに関しては、アジア圏の選手が非常に強いので、どう勝っていくか。ただ、ドバイ・グランプリ400mで出した46秒台という記録は、世界的にも数える程の選手しか出していません。その領域に踏み込めたことで、今年のアジアパラでも表彰台を狙えるんじゃないかと思っています。

※マルセル・フグ:スイス代表の車いす陸上選手。鈴木選手と同じT54クラスにてリオパラリンピック2冠(800m、マラソン)。メジャー・マラソンはベルリン、ニューヨークシティ、ロンドン、シカゴ、ボストンでそれぞれ優勝経験を持つ。スポーツ界のアカデミー賞と言われるローレウス世界スポーツ賞にて、2017年度の障がい者選手賞を受賞した。

※本記事は2018年4月に公開された記事を再公開したものです。

[プロフィール]
鈴木朋樹(すずき・ともき)
1994年生まれ、千葉県館山市出身。パラ陸上競技T54クラス。生後8ヶ月の時の交通事故で車いす生活に。小学5年生から本格的に車いす陸上を始める。城西国際大学在学中に世界パラ陸上選手権に出場。2017年トヨタ自動車に入社、現在はトラック競技の中・長距離をメインにしながら、車いすマラソンにも出場する。2017年ロンドンパラ陸上800m 5位、1500m 7位入賞。東京マラソン2018(車いすの部)2位。

[プロフィール]
小澤徹(おざわ・とおる)
1969年生まれ、千葉県千葉市出身。1998年の長野パラリンピックをきっかけにパラスポーツに関心を持ち、オーエックスエンジニアリングに入社。以後、一貫して競技用車いすの製作に携わる。2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと3大会連続でパラリンピック陸上競技車いすのメカニックを担当。2016年には製作したレース用車いす「CARBON GPX」がJIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会)デザインミュージアムセレクションVol.18に選定される。世界各国の車いす陸上競技選手のマシンを製作し、現在までのレース用車いす製作台数は約1200台にのぼる。
【オーエックスエンジニアリング】http://www.oxgroup.co.jp/

<Text:吉田直人/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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