インタビュー
2019年9月19日

そろばん、テコンドー、習字。毎日いやいや習い事、サッカーだけ楽しく通っていました。元プロ野球選手・森本稀哲(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #25 (2/3)

友だちに誘われて軽い気持ちで野球を始めた

――サッカーから野球に変わったきっかけは?

サッカーは離れた地域のチームだったので学校の友だちがいなくて、おもしろくないなと思っていたときに、友だちに「野球をやろう」と誘われたんです。「ちょっと行ってみようかな」という軽い気持ちで行ったら楽しくて、荒川区の少年野球チーム、西日暮里グライティーズに入りました。

――サッカーチームに入れたお父さんは何と言っていましたか。

サッカー派の父は猛反対でした。おじいちゃんが「本人の好きなことをさせろ」と説得してくれたおかげで野球に変えることができた。親父は野球を見に来ることはありませんでしたね。あとあと聞いたら「野球をやってる息子の姿がイメージわかない」って。自分のなかでは相当受け入れがたいことだったらしいです。

――野球を始めてうまくなっていく感触はありましたか。

もちろんありました。サッカーは、僕が入っていたチームは人数が少なかったこともあって、高学年も一緒に練習して試合に出ていたので、レベルの差を感じすぎてあまり楽しくなかったんです。でも野球は1学年で1チーム。相手チームも同様なので力の差があまりない。その中で自分がそこそこ上手いとわかるので楽しかった。

――中学では硬式チームに?

いえ、隣の区の軟式チーム、シールズ倶楽部に入りました。オファーをもらったんです。小学校のときにシールズ倶楽部と練習試合をしたんです。そのときにシールズ倶楽部の監督が「中学校ではこちらに来てほしい」と、僕を含め主力3人の移籍をグライティーズの監督に申し入れた。

グライティーズは「みんなで楽しく」というタイプのチームでしたが、シールズ倶楽部は高校野球に進めるような選手を育てるチームでした。今思えば、グライティーズの監督はすごいですよね。グライティーズも中学部があるのだから、優秀な選手には残ってほしいじゃないですか。それなのに「あっちのチームのほうが本格的に野球を学べるから」と快く僕らに勧めてくれた。

もう亡くなってしまったのですが、本当に選手のことを考えてくれた監督だと思います。結局、僕ともう1人が移籍することを選択したんですが、その1人はほどなくグライティーズに戻りました。練習についていけなくなったようです。

――チームを移ることは自分で決めたのですか。

自分で決めました。グライティーズに比べて厳しかったけど、それよりもまず練習場まで遠いことがたいへんでした。自転車で50分くらいかかるんです。はじめの頃は1時間くらいかかったけど、だんだん脚力がついて、最後のほうは40分くらいで行けるようになりました。いつも自転車をこぎながら「ここに電車が通ればいいのに」と思っていたんですけど、何年か後にモノレールが開通して「できてるし!」って(笑)。両親は自営業をしていたので、夕方は忙しいから車で送り迎えというのはなかったですね。

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