インタビュー
2020年12月14日

水泳の練習に行く前にピアノや習字へ、大忙しの小学生時代でした。元競泳日本代表・寺川綾(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #30 (2/3)

8歳のときに「オリンピックに出てみたい」と思った

――子どものころから夢はオリンピック選手ですか。

そうですね。私が8歳のときにテレビで岩崎恭子さんが金メダルを獲り、「今まで生きてきた中で一番幸せです」とコメントしていたのを見て(1992年、14歳のときにバルセロナオリンピック200m平泳ぎで金メダルを受賞)、「私もそんなふうになりたいな」と思ってました。「なれそうだ」という自信はまったくなかったですが、興味本位で「オリンピックに出てみたいな」と。

――でも、大会でどんどんいい成績を残して、ご両親も「本当にオリンピック選手になれるかも」と期待していたのでは?

たぶんそんなに期待されてなかったと思います(笑)。大会の送り迎えをしてくれたり、よく食べる子だったのですごい量のお弁当を持たせてくれたり、水泳を続けていくためにさまざまなことをサポートしてくれてはいましたが、だからといって期待をかけられることはまったくありませんでした。

中学のときに「水泳強豪校に進学したい」と言ったときも「水泳選手になれるわけがない。しっかり勉強しなさい」と言われましたし。常に学校が一番、その次に水泳であって、水泳を一番にするのは許さなかった。両親ともスポーツ選手ではありませんでしたし、兄もスポーツをやってましたが途中から勉強に切り替えていました。

――そんなご両親に対して「私は絶対に水泳選手になるんだ」と反発することは?

自分で「水泳選手になるんだ」と気持ちを固めていたというよりも、スイミングスクールのコーチが「もっとがんばったらなれるよ」と言ってくれていたので、小学校後半から中学に上がるくらいから「本当になれるのかな」と若干疑いつつ、一方で根拠のない自信もありつつ⋯⋯という感じでした。

――そういうコーチに対してご両親の反応は?

お迎えに来たときに少し話しているのが聞こえたことがありますが、「やったらできる選手だから」とコーチが言ってくれていたのに、「いやいや、うちの子はそんなんじゃないですから」と言ってましたね(笑)。それはすごく覚えています。

私にとって泳ぐことは日課のようなもの

――水泳をやめたいと思ったことはありますか。

ありましたよ。ずっと水泳漬けだったので「やめたらなにができるかな」「今までやってこなかった新しいことができるんじゃないかな」とぼんやり考えたことはありました。でも、やっぱり水泳が好きだし、オリンピックにも行ってみたいし、実際に狙える位置にいたので本当に「やめよう」とはなりませんでした。私にとって水泳はやらなきゃいけないことのひとつ、日課だと思っていたので、子どものころから当たり前のこととして泳いでいました。

高校生の時も、今で言うタピオカを飲みに行くみたいな「学校帰りにちょっと寄り道してみたいな」と思うことはありましたが、その頃にはもう世界選手権に出場し、ただ好きだけではない水泳になっていて、ちゃんとやらなきゃいけないという自覚もあったので、それを受け入れて続けてきました。

――水泳をやっていなかったら何がしてみたかったですか。

バイトです。大学の友だちがみんなバイトの話をしていて「どんな感じかな」と思っていました。

――習い事でやってみたかったことはありますか。

うーん、そうですね⋯⋯。バレエかな。私、背が大きいので姿勢がいいほうがかっこいいじゃないですか。バレエとかやっていたら違ったのかなと思いましたけど、そのときはいっぱいいっぱいだったので無理ですね。チーム競技もしてみたかったです。体育の授業でバレーボールをやって「みんなでワイワイできるのが楽しいな」と思いました。もちろん授業なので選手のようにハードではなかったからそう言えるんですけど。

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