インタビュー
2018年12月11日

高校から凝縮した柔道生活が送れたのは、詰め込まないで幼少期をのんびり過ごしたから。柔道家・小川直也(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #19 (3/3)

毎日練習すれば強くなるというわけではない

――親として勉強とスポーツの両立についてはどのように考えていますか。

うちの道場は文武両道なんです。教育委員会は最近、中学高校の部活動は週2日以上の休養日を設けるべきだと打ち出していますが、当たり前です。休みがないと勉強する時間がないし、生活にメリハリもつかない。

現役時代、僕は率先して休みを取っていたので「あいつはあんまり練習しない」と言われていたけど、毎日練習すれば強くなるというわけではありません。勝ったときはそういう姿勢はフィーチャーされないけど、負けると「練習が足りない」と言われるんですよね。

息子はずっと塾に通っていましたし、数学は僕も教えていました。数学が好きだったんです。学校よりも塾の数学の先生が好きだった。解き方も学校で習う方法だけでなくいろんな方法があると教えてくれて、「答えが一緒なら学校のやり方にこだわるな、遠回りをしないで簡単な方法を考えろ」と言ってくれた先生でした。

――柔道を指導するとき、自分の子どもについ熱くなってしまうということは?

それはないですね。冷静に教えて伝わらなかったら、子どもを責めるより「自分の教え方が下手なんだ」と自分を責めるほうですね。長男は小中学生のころは飛び抜けて勝つことはありませんでした。「小川の息子なんだからもっとできるんじゃないの」と言われたこともあったけど我慢していました。

というのも、子どもは成長の速度がさまざま。小学校で体ができあがって大人のようになる子もいれば、高校くらいでやっと完成する子もいる。早く大人になった子は当然強いので、その子との試合を避けるために減量するなどしてクラスを無理に変える子もいる。でも、そういうことはやらせないように我慢していました。自分の子がどこで伸びるかわかっていたから。人生のなかでどこに頂点を持っていくようにするかですよね。

少年柔道の大会などに行くと親御さんたちが躍起になって大変ですよ。みんな世界チャンピオンを目指して無理難題を言うから。まだ小学生なのに、勝てないと「うちの子には合わない」と言う。横で聞いていて、その子はたいへんだなと思っています。習い事をするときは、自分の子をよく見ることも大事だけど、信頼できる専門家にまかせることも大事。

――今後の活動について教えてください。

東京オリンピックまでは長男をサポートしますが、それ以降は本人に任せます。一人の選手なので、自分で指導者を選べるようにもならないと。小川道場は、亡くなった恩師・小野実先生の遺志を引き継いで作ったということもあります。柔道界を支えるべく、昔の僕みたいにふらふらしたやつを発掘して、世界に出ていける選手をたくさんつくっていきたい。もちろん柔道で世界的な選手に育ってくれたらうれしいし、僕が剣道や野球を経験して柔道に巡り合ったように、柔道を経験したことを活かして、その後、別の分野で世界に出ていくのもいい。そういうアドバイスができる指導者になりたいと思います。

[プロフィール]
小川直也(おがわ・なおや)
1968年生まれ、東京都出身。高校時代から柔道を始める。1986年明治大学入学、全日本学生柔道選手権で優勝し史上2人目の1年生王者に。1990年明治大学経営学部経営学科を卒業し、JRA日本中央競馬会に入会。1992年バルセロナ五輪柔道男子95kg超級で銀メダル獲得。1996年アトランタ五輪柔道男子95kg超級5位。1997年プロ格闘家に転向。新日本プロレスのほか、総合格闘技イベント「PRIDE」「ゼロワン」「UFO LEGEND」などに出場。2004年プロレスイベント「ハッスル」に出場。2006年、神奈川県茅ヶ崎市に柔道場「小川道場」開設。2013年、筑波大学大学院で修士(体育学)学位取得。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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