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あのシーンが刷り込まれていたから金メダルに繋がった。柔道・野村忠宏『柔道部物語』【私のバイブル #1(後編)】

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 前編では野村忠宏さんと『柔道部物語』(小林まこと)の出会いから、中学~高校の部活時代の話を中心に伺いました。後編では野村さんが実力をあげ、オリンピックに出場~金メダル獲得に至る頃の話なども交えて、野村さんにとっての『柔道部物語』について詳しく聞いていきます。

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マンガのあのシーンを無意識に再現

前回お話いただいたとおり、弱かったけど強くなるために技を磨く自分に、主人公である三五十五(さんご・じゅうご)を重ねて練習に取り組んだ高校時代を経て、ついに大学チャンピオンになり、オリンピックの道へと続いていくことになるわけですが。

そのときから磨いていた背負投が、ようやく自分の武器、得意技になっていったのが大学時代でしたね。大学になって勝てるようになったときに自分を引き上げてくれたのは間違いなく背負投でした。

― そして1996年のアトランタオリンピック、3回戦でロシアのオジェギンと戦った際、残り15秒で劣勢だった野村さんは片襟の背負投で見事1本を奪取。その勢いで金メダルを獲得しました。

古賀(稔彦)先輩が試合でやっていたのを小林先生が取り入れたというのはあとで知ったのですが、当時それを見たときにそのシーンが単純にすごくカッコよかったんです。その影響で片襟の背負投をすごく練習したのは覚えていますが、なかなか試合で使う機会はありませんでした。それがアトランタの3回戦で、あの状況で片襟しか掴ませてもらえないとなったときに自然と出て、逆転勝利に繋がった。

あのときに具体的にそのシーンが浮かんだとかはないですけど、マンガで見たあのシーンは刷り込まれていたし、当時から影響を受けていた。だからこそあの場面で出たと思うし、それがアトランタの金メダルに、その後の3連覇に繋がっているという考え方はできると思います。

― その後シドニー、アテネと勝ち進んでいく中で、松岡修造さんは『エースをねらえ』をウインブルドンに持ち込んで試合中も読んでいたという話もありますが、野村さんはふとした拍子に『柔道部物語』を読み返すということはあったのでしょうか?

たとえば減量で風呂に入るときに湯船に浸かりながら読んでいたとかはありますけど、ちょうどマンガを読まなくなる年齢に差し掛かっていたので、自然と読む機会も減りましたよね。その頃はむしろアップとか練習以外の時間に、柔道のことを考えたくなかったんですよ。試合は究極の恐怖とプレッシャーと向き合うので、バラエティ番組をテレビで見たり、いかに柔道のことを考えないかの方に腐心していましたね。

プレッシャーに向き合う気持ち

― 現役時代のプレッシャーはそれくらいすさまじいものだったと。

シドニーで辞めようかなと思って2年間休んだのもまさにそこでした。シドニーを終えてまた4年間そのプレッシャーと向き合って、それでも出場できるかわからないし、負ける姿を見られたくない恐怖感もありました。だからこそ辞めようと思ったんですけど、それでもまだ続けたい自分がいて……。結局2年休んでまた復帰することになったのですが、正直、今でもあの瞬間には帰りたくないというくらい苦しかったんです。

やっぱり復帰直後は注目されるし、それでも勝てなかったし、そうすると周囲の目も冷ややかなものになり、自分にも自信やプライドがあったのに、勝ち方すらわからなくなって。そのとき、どん底の中で初めて円形脱毛症になりました。

― 三五はプレッシャーで眉毛が円形脱毛症になるという特徴がありましたが、野村さんの場合はプレッシャーではなく……。

自分が惨めで、苦しすぎてですね。でもそこから逃げることはしなかったです。周りはみんな諦めていたけど、自分だけは逃げちゃいけない、変われると思って、どこかで自分を信じて、期待して。そこで逃げなかったから3連覇という結果に繋がったし、その苦しみの中で経験してきたことは、自分の財産になりました。

― アテネ後も怪我などに苦しみながら、2015年まで現役生活を続けられました。その原動力というのはどんなものだったのでしょうか?

アテネのチャレンジを経て、またボロボロになるし、惨めになるかもしれないけど、ここでまたチャレンジを続けたら新しい自分が見られるんじゃないか、作れるんじゃないかという期待でしたね。それは一回りも下の子に試合で投げられたりしたらそれはすごく悔しかったですよ。でも勝ちたいという気持ちと強くなりたいという気持ち、そして大好きな背負投でもう一度畳の上で勝負したという思いが自分を引っ張ってくれたんだなと思います。

マンガから得たかけがえのない思い

― ここまで話を伺って、大学以降は『柔道部物語』に触れる機会は少なかったとはいえ、野村さんを突き動かしていた思いというのは、中学生の頃に読んだときの強くなりたい気持ち、その気持ちを背負投に託して自身に期待するという部分でずっと残っているように思えましたが。

マンガっていうのはやはりフィクションですけど、読み始めた中学生の頃っていうのは本当に三五を自分に置き換えられたし、こうなりたい、こうなれると真剣に思わせてくれましたね。強くなる過程でそれを読んで、憧れて、形成された柔道に対する純粋な思いというのは、やはり自分自身のベースの一つになっていると思います。

― 最後に、このマンガが野村さんに与えた影響をひとことで表現していただけますでしょうか?

「未来」ですかね。強くなったあとの自分というのは妄想でしかないんですけど、その妄想をリアルにイメージさせてくれた。それが三五十五という存在なんです。三五が成長していく姿への憧れ、自分が思い描く自分自身が強くなっていくストーリー、柔道という競技での目標、背負投という技。

『柔道部物語』は当時の野村忠宏が思い描く理想の未来を具現化してくれた作品だと思います。まあ、三五は金鷲旗で勝って、インターハイも制覇して。自分は高校のときはインターハイには出場できたけど、1勝もできませんでしたから、高校3年生の時点では完敗でしたけどね(笑)。でもそのときに三五がくれた背負投のイメージは、間違いなくその後の野村忠宏の未来に繋がっていたと思います。

《前編はこちら》
・背負投を武器に強くなる主人公に自分を重ねて。柔道・野村忠宏『柔道部物語』【私のバイブル #1(前編)】

[プロフィール]
野村忠宏(のむら・ただひろ)
柔道家。1974年奈良県生まれ。祖父は柔道場「豊徳館」館長、父は天理高校柔道部元監督という柔道一家に育つ。 アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成する。その後、たび重なる怪我と闘いながらも、さらなる高みを目指して現役を続行。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。2015年9月に著書「戦う理由」を出版。ミキハウス所属
・野村忠宏オフィシャルサイト
http://www.nomuratadahiro.jp/

[作品紹介]
『柔道部物語』(全11巻)
高校に入学したばかりで何も知らない三五十五(さんご・じゅうご)は、先輩たちの甘い言葉に乗せられて柔道部に入部。ところが、入部したとたん先輩たちの態度が豹変。シゴキはあるわ、坊主頭にさせられるわ、もちろん女の子との交流会なんて真っ赤なウソ。でも、一度やると決めた柔道だ。強くなってみせるぞ――!! 読み出したら止まらない!! 珠玉の本格柔道コメディ。
・講談社コミックプラス
http://kc.kodansha.co.jp/

[撮影協力]
講談社 ヤングマガジン編集部・イブニング編集部
©小林まこと/講談社

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<Text:関口裕一+アート・サプライ/Photo:小島マサヒロ>

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