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2018年7月11日

マラソンをやめた男がマラソン芸人になるまで。モノマネ芸人・萩原拓也のランニング人生(前編) (3/3)

12年のブランクを経て、再びランニングの世界へ

――大学卒業後は“一旦”競技を引退することになりましたが、その後はすぐ芸人になったんでしょうか?

いえ、もともとは中学生の時から役者になりたくて、卒業後にすぐ役者の養成所に2年間通いました。でも、「役者じゃ売れないな」と思ったのと、当時M-1グランプリが盛り上がっていたのもあり、「お笑いだったら売れるだろうな」という甘い考えで始めたんです。

最初は高校時代の陸上部の同期を誘って「Coming すーん」というコンビを組み、2人揃って「ワタナベコメディスクール」の5期生として入りました。1個上にイモトアヤコさん、サンシャイン池崎さん。僕の同期には有名なのがいないんですけど(笑)、6期にはクマムシ、あばれる君がいます。卒業が2007年の10月なので、そこが芸人としてのデビューということになります。

――現在の「ポップライン」はどのようにして結成されたのでしょうか?

その後はコンビを解散しまして、当時同じバイト先だった2人(それぞれ違うバイト)とトリオを結成しました(2012年)。これが「ポップライン」です。でも2016年10月にネタ作り担当が結婚を機に脱退しまして、現在のコンビというかたちになりました。

▲もともとは役者志望だった萩原さん

――トリオ時代はキングオブコント準々決勝などの実績がありましたが、コンビとしてはどのようにやっていこうと考えたのでしょうか?

ネタ担当が抜けてポンコツ2人が残り(笑)、どうするかとなった時に、「そういえば俺、昔走っていたな」と。古い記憶を呼び起こし、マラソン芸人として“芸人最速”を目指すことを決心したんです。

とはいえ、現役引退してからマラソンを開始した時点(2017年1月)で12年も経っていますし、その時はタバコもけっこう吸っていたんです。だから現役時代は余裕だった60分ジョグもできなくて、「こんな走れないものか……」と相当ショックを受けましたね。

――そこから、徐々に「サブスリー」に向けて仕上げていくわけですね。

最初はきつかったんですけど、1ヶ月くらいでキロ5分ペースの60分ジョグは難なくこなせるようになりました。どこまで身体が元に戻るのか不安な気持ちがあったのですが、一方で走るごとに速くなる感覚も得られ、「これ、めちゃくちゃ速くなるんじゃね?」と、だんだん走るのが楽しくなったんです。

▶後編:元大学駅伝強豪校ランナーが設楽悠太のモノマネ芸人に。たった1年で「サブスリー」を達成できたワケ(後編)

[プロフィール]
萩原拓也(はぎわら・たくや)
1981年生まれ、千葉県出身。お笑い芸人。オスカープロモーション所属。神奈川大学では駅伝部に4年間所属。箱根駅伝出場は叶わなかったが、10000mは29分48秒、ハーフマラソンは66分28秒という自己ベストを持つ。卒業後は2年間の役者生活を経てお笑い芸人へ転身。2012年にお笑いトリオ「ポップライン」を結成し、2016年からはコンビとして活動。翌年からマラソン芸人としてランニングを再開するとともに、現在は男子マラソン日本記録保持者・設楽悠太選手のモノマネで人気を博している。
【公式Twitter】https://twitter.com/poplinehagi

<Text:松永貴允(H14)/Photo:河合信幸>

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